mulimi’s diary

仕事、金運、都市伝説、引き寄せ…etc。人生は楽しんだ者勝ちだ!?

昭和64年1月7日。昭和が終わった日と平成を振り返って…。1.17とか3.11とか。

昭和天皇 秘録 (別冊宝島 2535)

 

1月7日七草粥の日ですが、みなさんちゃんと食べましたか?

 

昨年末から今年にかけては何かと「平成最後」という

キーワードがたくさんみられますが、

30年前の1月7日昭和が終わった日でした。

 

今上天皇は、元気なうちにご退位されて、皇太子さまにバトンを渡すことを決意されましたが、昭和から平成に変わった時は、突然でしたね。

 

 

目次

 

天皇陛下のご容体がずっと出てた

f:id:mulimi:20190107224635p:plain

突然と言っても、前の年からずっと、毎日のようにテレビ画面の上の方に

天皇陛下のご容体」という速報が随時出ていましたね。

 

そんな昔、まだ生まれてないよ~!って人も多いでしょうけど・・・

そうだったんですよ。

 

吐血(とけつ)」とか「下血(げけつ)」という文字が毎日出ていました。

 

本当に国民みんなが心配して、心を痛めていましたね。

 

わたしもまだ子供でしたが、

天皇陛下が〇〇cc吐血」とか「下血」という速報を毎日見ていて

胸が苦しくなりました。

 

そして、お正月を迎えたのですが、

一週間たって、とうとう「その日」がやってきました。

それが、1月7日という日だったんですよね。

 

あれから、もう30年が経ちました。

 

大喪の礼

f:id:mulimi:20190107230239p:plain

天皇陛下お葬式である大喪の礼を覚えている人も多いでしょう。

 

だから、生まれてないってばっ!

という人…あったんですよ。

学校も休みになったりしたので、みんな覚えているんです!

 

大喪の礼が行われたのは、

天皇陛下崩御(ほうぎょ)あそばされてから一月以上たった

2月24日のことでした。

 

小雨が降っていましたね。

 

テレビもずっと、このニュースだけを流していました。

 

他に何にも番組をやってなくて、

どのチャンネルでも報道特番を流していたから

レンタルビデオ屋さんが繁盛したりもしましたね。

 

でも、なんだか「ちゃんと見ておかないとな」という気持ちが強かったような気がします。

 

それまで『崩御(ほうぎょ)』とか『大喪の礼』なんて言葉は一度も聞いたことがなかったので、みんな初めてのことに戸惑いました。

 

そして、国民全体が喪に服していましたね。

 

平成という時代…1.17とか3.11とか

天皇陛下と美智子さま 平成三十年 祈り (アサヒオリジナル)

昭和は60年以上ありましたが、平成は30年で終わってしまいますね。

 

でも、30年の間には本当にいろんなことがありました。

 

やっぱり、一番に思い浮かんでしまうのは

大きな震災が2度も起きたということではないでしょうか。

 

 

阪神淡路大震災

 

阪神淡路大震災が起きたのは、平成7年(1995年)1月17日の朝、5時46分のことでした。

最初は、なかなか現地の映像が関東地方のニュース番組まで届いてなくて、いったい何が起きているのか全く分からない状況でした。

 

わたしはその頃、本社が大阪にある会社の関東営業所みたいなところに勤務していたので、会社に行ってからも大混乱でした。

本社となかなか連絡が取れず、状況がわかるまでそうとうな時間がかかりました。

まだ、テレビでは現地の様子は映し出されておらず言葉の情報だけが飛び交っていました。

 

当時の課長が、やっと大阪の人と電話がつながって

「えっ?落ちた?!高速が?高速道路が堕ちた?!!

という会話をしていたのを、今でも鮮明に覚えています。

 

お昼のニュースでは

「死者200人以上」

と言っていて、みんな驚きました。

それまで、地震でそんなにたくさんの死者が出たというニュースは

大昔の「関東大震災」くらいしか思いつかなかったので、

「そんなに亡くなったの?」

とビックリしたんです。

 

でも、そんなもんじゃありませんでした。

みるみる死者の数は増えていって、

最終的には6千人以上の犠牲者が出てしまいました。

 

最初にニュースを聞いた時には、そんな数字

想像できませんでした。

 

 

そして、東日本大震災

 

東日本大震災が起きたのは、平成23年(2011年)3月11日ですね。

これは若い人でも、覚えている人がたくさんいると思います。

 

まだ、あの時の「揺れ」を体が覚えているという方もいるかもしれませんね。

 

地震の怖さに加えて、津波の恐ろしさを改めて痛感させられた震災でした。

 

テレビの画面には、信じられないような光景が広がっていました。

これは、本当に現実なのか?と思うほど、恐ろしい光景でした。

 

いまもまだ、見つかっていない人たちがたくさんいます。

 

原子力発電所の在り方を考え直さなければいけないのではないかという

これまでの地震とは別の問題も大きく私たちにのしかかってきた震災でしたね。

 

まだ、宿題は解かれていません。

 

災害が多かった平成時代

他にも、自然災害が多かったという印象ですね。

地震も台風も、水害も、土砂崩れも・・・

 

いろんな場所で、本当に毎年のように

恐ろしい災害が発生しました。

 

たくさんの尊い命が犠牲になりました。

 

事件もたくさんあった

昭和から平成に変わった時、

昭和戦争の時代だったけど、

平成こそは平和な世の中になってほしいと願った方は

きっと多かったでしょうね。

 

もちろん日本が戦場になるような戦争は起きませんでしたが、

あの『地下鉄サリン事件』が起きたのも平成時代ですね。

平成7年(1995年)3月20日でした。

阪神淡路大震災2か月後だったんですね。

 

 

世界では『湾岸戦争』や『9.11テロ事件』なども起きました。

 

本当に怖いことがたくさんあった時代ですね。

 

図解で振り返る 激動の平成史 (時空旅人別冊)
 

 

新時代はどうなるの?

f:id:mulimi:20190107234458j:plain

これから世の中はどうなっていくのでしょうね?

 

まさに「都市伝説」だったものが、どんどん現実になっていくような気配がしていますが、私たちはついていけるのでしょうか?

 

昔見た映画のように、人類機械に支配されるようになるのでしょうか?

あらゆるところにカメラが設置されていて、誰がどこで何をしていたか?すべてAI把握されてしまいそうな社会になりつつありますよね。

 

全部機械に任せてしまって、人間は何もできない腑抜け・抜け殻にされてしまうのでしょうか?

 

新時代に、人間の温かさを感じることは出来るのか?不安ですね。

 

機械 VS 人間 という構図になるのなら、人間同士は一枚岩でなければなりませんが、まだまだ人類は、お互いに争うことを止めそうにありません。

 

あと30年後、我々はこの地球上に、日本という国に存在し続けていられるのかなぁ・・・?